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心霊写真 (宝島社新書) 新書 – 2000/2/1
小池 壮彦
(著)
- 本の長さ254ページ
- 言語日本語
- 出版社宝島社
- 発売日2000/2/1
- ISBN-104796617248
- ISBN-13978-4796617246
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商品の説明
商品説明
怪談話や都市伝説の背後に見え隠れする歴史的事実を調べ、その由来や変遷を明らかにすることで「怪奇探偵」の異名をとる著者。明治の「妖怪学者」井上円了や、「念写実験」で有名な福来友吉といった研究者の著書、あるいは新聞・雑誌に至るさまざまな文献を渉猟しながら、日本で最初に写真撮影が行われた幕末から現代までの約120年間を、心霊写真を軸に構築していく「日本心霊写真史」である。
その意図するところは、現像ミスやトリックであることが「明治十年代には、日本でもすっかり正体が判明していた」にもかかわらず、なおも現代まで生き続ける心霊写真に、「日本人の精神的な特徴」を見いだすことができる点だ。日本最古の心霊写真が撮影された時期や、「心霊写真」という言葉が初めて使用された時代を特定していく姿勢は、常に冷静である。ただ、「写真の投稿」「鑑定」「供養(処分)」といったシステムが登場した昭和末期から、メディアによる「いい加減な」心霊写真の扱われ方には、「いかがわしさすら失った」と憤りをにじませている点が印象深い。
本書が、福来など戦前の研究者たちの記述に多くのページが割かれているのは、たとえその研究や言動がいかがわしいものであっても、そこに彼らの真摯なまでの情熱を感じているからだ。心霊写真に振り回された人々に向けられる著者の視線には、彼らに対する深い慈しみがある。著者もまた、「古きよき時代」の情熱を継承するひとりなのだろう。(中島正敏)
内容(「MARC」データベースより)
写ったのは本物か否か…。明治の写真師が、日本初の「心霊写真」を撮影した歴史的瞬間から、現代人が、家庭用ビデオの映像に幽霊を発見するまでの120年史。
登録情報
- 出版社 : 宝島社 (2000/2/1)
- 発売日 : 2000/2/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 254ページ
- ISBN-10 : 4796617248
- ISBN-13 : 978-4796617246
- Amazon 売れ筋ランキング: - 374,884位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年1月30日に日本でレビュー済み
(1)「心霊写真」という語はみんな普通に使用しています。(2)主流となっているのは無名の素人(アマチュア)が無作為で撮影した幽霊らしきもの(顔など人体の一部ととれないでもないもの、煙状、光物)が写っている動画です。(3)現在ブーム(TV番組、写真集が多数で高視聴率、ベストセラーなど)とはいえません。(4)幽霊がいるかいないかは保留しても幽霊がいるから写っているのだ、心霊写真は幽霊実在の証拠と本気で考えている方はまずいません。本書によれば幕末わが国に写真が導入されてからずっと現在と同じだったのではないとわかります。(1)に対応する語は「幽霊写真」で、この語も古くは使用が一部の心霊研究家に限定されていました。(2)は古くは写真師(プロ)や心霊研究家撮影です。「念写」乃至「霊写」の場合は霊能者でトリックです。故意、過失は問わず2重露出から出発しています。日本初の写真館開業は1862年ですが、2重露出は当初からあっただろうが特に「幽霊写真」とはされなかった期間があります。現在の無作為写真(著者の用語では「ポスト・モダンの心霊写真」)が主流化の始まりは昭和40年代で当時は心霊研究家や霊能者の判定が介在し、「霊障」が導入されたのはしばらくしてからです。(3)はTV画面や構築物に応用した幽霊出現騒ぎまであったのをご記憶の方もおられるでしょうが、「幽霊写真」の大衆化は戦前で以後何度かブームがあったようです。(4)は戦前宗教家、(心理)学者、心霊研究家などの間で真贋、実在有無、写るメカニズム論がいろいろあったようです。個人的に最も近いのはトリックの発案、実行に係わったこともある石川雅章でエンタメの一角として捨てがたくインチキでもいいからもっともらしいのを見せてくれです。変動の原因はだれでも気づくのは写真機材の変化(光学カメラ・デジカメ、フィルム・ビデオテープなど)です。さらに周辺自然科学上の発見・発明(の連想ゲーム、X線、素粒子、TV、電送など)。また、外国の心霊研究・トリック界の動向からも影響されます。そして時代時代の政治、経済、重大事件・事故を起因とする社会心理(不安、退屈、閉塞感など)です。けれどうたれるのは変動よりも国産初の「幽霊写真」出現(1879年)から136年もたちながら健在なことです。年に1,2回の貴重なお盆休みに外国旅行ではなく帰省してお墓まいりする人、怪談小説・ホラー映画を好む方がいる限り生き残っていくと思います。巻末年表は整理に好適で、ビデオ・書籍リストは怪奇趣味の宝庫です。難しいことはおいて写真がらみの幽霊談を楽しむというのもありです。但し、書中の写真17葉は全てモノクロ、新聞からの転載が多いこともあり、鮮明とはいえません。
2014年2月3日に日本でレビュー済み
心霊写真の真実性を明確に否定している著者が、心霊写真が起こす社会現象を江戸まで遡って分析しています。80、90年代のオカルトブームしか知らない者としては非常に面白く読めました。
著者によると心霊写真をエンターテインメントと楽しめる条件は物語性と演出力です。死者の無念が写真に宿るという人々の人情に訴えるストーリーとまさかそこまでやるかという大掛かりのインチキ。本書内の言葉を借りれば[いかがわしければいかがわしいほど見世物小屋的祝祭性が溢れ出してくるように感じる」のです。
幕末からこれらの要素によって大衆に受け入れられてきた心霊写真は、戦後インチキ写真ではなく影などが霊に見えるという著者の言うところの[ポストモダン型の心霊写真」や、大量に投稿されてきた写真を霊能者が鑑定するシステムなどにより物語性を失い、急速に劣化して現在に至ります。しかし著者は心霊写真に変わってレンタルビデオの普及に合わせ、心霊写真の需要は[リング」などのビデオに移ったと分析しています。例が写真に写ることを否定しながらそれを庶民の他愛ないエンターテインメントと捉えているところが面白いです。
著者によると心霊写真をエンターテインメントと楽しめる条件は物語性と演出力です。死者の無念が写真に宿るという人々の人情に訴えるストーリーとまさかそこまでやるかという大掛かりのインチキ。本書内の言葉を借りれば[いかがわしければいかがわしいほど見世物小屋的祝祭性が溢れ出してくるように感じる」のです。
幕末からこれらの要素によって大衆に受け入れられてきた心霊写真は、戦後インチキ写真ではなく影などが霊に見えるという著者の言うところの[ポストモダン型の心霊写真」や、大量に投稿されてきた写真を霊能者が鑑定するシステムなどにより物語性を失い、急速に劣化して現在に至ります。しかし著者は心霊写真に変わってレンタルビデオの普及に合わせ、心霊写真の需要は[リング」などのビデオに移ったと分析しています。例が写真に写ることを否定しながらそれを庶民の他愛ないエンターテインメントと捉えているところが面白いです。
2002年8月31日に日本でレビュー済み
日本の古い心霊写真というと、念写実験の話が知られている。しかし明治から大正にかけて心霊写真は、ほとんど現代と同じような因縁話を生み、はたまたエンタテインメントの有力なアイテムともなっていた。昨今の流行と思われがちなことにも歴史がある。膨大な一次資料を駆使しながら、心霊写真という装置に込められた意味を探り、日本の心霊研究史を書きかえるとともに、闇の近代史を鮮やかに炙り出した本である。